鎖国時代に唯一開国し、外国と貿易をしていた長崎には、フランシスコ・ザビエルによって布教されたキリスト教が広がっていきました。
そのことが長崎とキリスト教の深い繋がりの始まりで、2018年にはキリシタンに関する建造物などが「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成資産」として世界遺産に登録されました。
本記事では、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の見どころやおすすめ観光スポット、1泊2日モデルコースを紹介しています。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産とは?
17世紀〜19世紀頃、キリスト教の信仰が禁止されていた時代に、長崎と天草地方において密かにキリスト教信仰が続けられていました。日本の伝統宗教と共生しながら信仰を続けた潜伏キリシタンの歴史を物語る資産で構成されています。
・大浦天主堂
・外海の出津集落
・外海の大野集落
・黒島の集落
・平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)
・平戸の聖地と集落(中江ノ島)
・奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)
・久賀島の集落
・原城跡
・野崎島の集落跡
・頭ヶ島の集落
・天草の﨑津集落
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、以上の12資産で構成されています。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の見どころを紹介
出典:【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産公式サイト】http://kyoukaigun.jp/visit/detail.php?id=7
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、歴史的背景を知ると、もっと深く理解ができるでしょう。
始まりは豊臣秀吉の時代で、大浦天主堂周辺での有名な出来事に日本二十六聖人があります。豊臣秀吉がキリシタン禁教令を出したことで石田三成によって捕縛され、日本人20名、外国人6名が長崎の西坂で処刑されました。
秀吉は宣教師の存在を黙認していましたが、キリシタンの取り締まりを強化したことで、京都や大阪、長崎のキリシタンが見せしめとして処刑されたのです。なぜ長崎だったかというと、当時からキリシタンの町として栄えており、警告のため長崎を選んだと言われています。
豊臣秀吉に次ぎ、徳川幕府ではさらにキリシタンへの迫害、拷問は残酷さが増していきました。そのため、キリストへの信仰心を内に秘めながら、表面では仏教徒を演じている人々がいました。それが潜伏キリシタンという信徒で、250年もの長い間、幕府の目から逃れるための信仰をしてきたのです。
幕府の圧力に屈せず、信仰心を守ってきたキリシタンと深い繋がりを持つ関連資産が世界遺産として認定されました。その想いを感じて関連遺産を巡ってみると、よりキリシタンのことを理解して楽しめるのではないでしょうか。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産のおすすめ観光スポットを紹介
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成資産の中から、おすすめの観光スポットを4か所ピックアップしました。
大浦天主堂
出典:【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産公式サイト】http://kyoukaigun.jp/visit/detail.php?id=4
日本二十六聖人の舞台となった西坂に向かって建てられた大浦天主堂。大浦天主堂は、殉教した26人のために捧げられた教会です。
1933年には国宝に指定されましたが、長崎への原爆で教会は損傷しています。損傷の修理完了後の1953年には再度国宝に指定され、古くから貴重な文化遺産として受け継がれています。
また、世界遺産に登録されている教会のうち、自由に教会内の見学ができるのは大浦天主堂のみです。
原城跡
出典:【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産公式サイト】http://kyoukaigun.jp/visit/detail.php?id=13
原城は、島原・天草一揆の舞台にもなった場所で、当時、天草四郎を大将とした武士たちが88日間立てこもった城としても知られています。
島原の乱の時には原城は廃城していましたが、立てこもりで一揆軍に利用されたこと、キリスト教を脅威に感じた幕府が、石垣などまで徹底的に破壊しました。発掘作業の際には、戦いの痕跡である人骨や鉛の弾丸、十字架、ロザリオ珠などが発掘されたそうです。
現在の原城跡では、天草四郎像や天草四郎の墓石を見ることができます。原城跡は、小高い丘の上にあり、有明海を望むことができる絶景スポットでもあります。
頭ヶ島の集落
出典:【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産公式サイト】http://kyoukaigun.jp/visit/detail.php?id=16
頭ヶ島は、幕末の頃までは無人島でした。その頃に移住してきたキリシタンによって思案、建築士の鉄川与助による設計で、10年余の歳月をかけて完成されたのが石造りが特徴的な頭ヶ島天主堂です。石造りの教会は、全国的に見てもとても珍しい貴重な建造物。
完成から100年経った今でも立派な姿はそのままに、まるでヨーロッパのような落ち着いた風格が漂っています。頭ヶ島天主堂は、16人程度しか住民がいない小さな島に建っています。また、見学の際には事前連絡が必要です。数ある教会の中でも、頭ヶ島天主堂は強く印象に残るほどのインパクトがあります。
天草の﨑津集落
出典:【天草市公式サイト】https://www.city.amakusa.kumamoto.jp/sakitsu-sekai/default.html
天草の﨑津集落は、当時から漁業が盛んな村でした。当時の潜伏キリシタンの人々は、アワビやタイラギの内側の模様をマリア様に見立てて崇敬していたそうです。他にも貝を用いた信仰具を作るなど、漁業を生業にする村ならではの独特な信仰がされていました。
天草の﨑津集落には﨑津教会があり、禁教が解かれてから15年後に完成しました。国内でも珍しい畳敷きの堂内で、鮮やかなステンドグラスを見ることもできます。教会内の見学は、事前連絡が必要です。